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コラム
監視カメラと心の監視カメラ
2016.09.22

四国のお遍路さんがブームになり、よくテレビも放映されるようになりました。そもそも「お遍路」は、弘法大師(空海)が42歳の時に「人々の災難を取り除くため」と参った霊場をそのお弟子さんが遍歴した四国霊場88か所をめぐることが始まりであったという説があります。人間には煩悩が88あり、霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消え、願いがかなうと言われています。総工程約1400キロメートル。昔は「世捨ての旅」と呼ばれた厳しいものでした。

最近は、何かを祈願するためだけでなく、「健康増進」「ストレス解消」など様々な理由でお遍路に出かける人も多くなりました。また、全行程を歩くのではなく、「貸し切りタクシー遍路」「ツアーバス遍路」「レンタカー遍路」等々気軽にお遍路の世界に触れられる機会も多くなりお遍路に訪れる人数も大幅に増えています。

 

その中で、最近問題になっているのが「お賽銭泥棒」とのこと。あまりにお賽銭がなくなるということで、仕方なく「犯罪防止」のための防犯カメラを設置せざるを得なくなったということが報道されていました。その中で住職の方がおっしゃっていたことが非常に興味深く、企業不正の世界においても何かのヒントになりそうな気がしました。すべて正確ではないかもしれないですが、ご紹介します。

 

「我々日本人には、“心の監視カメラ”があったと思うんですよね。例えば“ご先祖様が草場の陰から見ているよ”とか“お天道様が見ているよ”とかいうことですよね。何か悪いことをしようと思った時でも、この心の監視カメラがブレーキを効かせていたと思うんです。」

 

心の監視カメラが日本人特有の感覚かどうかは別にして、人間には自分の行動を律することができる何かがあると思います。お遍路さんのお賽銭泥棒が頻発しているということをとって、その何かが弱くなっているということでしょうか。

 

一概にそうとはいえないと思います。監査的にいうとお遍路さんの「母集団」が変わってきていて人数も増加したためとも考えられます。つまり、以前、お遍路さんは険しい道を自分の足で歩き、何かを祈願するために回る少数の方たちのものでした。それに対して今はお気軽に楽しめる観光ツールとなっている面もあり、お遍路の目的も様々です。お賽銭泥棒に対する心のハードルの高さが異なる人達がたくさん訪れることになるでしょう。その「お遍路さん環境の変化」に全く無防備なお賽銭箱はかっこうな不正の機会となります。いろいろな背景の人が多く訪れるようになった以上、それなりのシステム(例えば、監視カメラ)を設けなければいけません。

企業不正の世界でも同様です。企業の規模がある程度大きくなると、様々な背景や倫理観を持った人が集まり業務を実施していくことになります。「うちの会社の人はいい人ばかりだから不正は生じない」という思い込みから脱却し、不正を防ぐ仕組(内部統制)を業務の中に組み込んでいくことが必要です。

 

では、「いろんな人がお遍路に来るから、監視カメラも致仕方ない」と時代の変化と嘆きつつその現状を受け止めるということしかないのでしょうか。

 

前述の住職さんのお話には続きがあります。

「最初は、“倫理観のようなものがなくなってしまったのか”という嘆く気持ちしかなかったけれど、いろいろ思いを巡らしてみると、ここはお寺なのだからその泥棒の心を救うことができたのではないかということに思いが到りました。なぜ、どうして手を差し伸べてあげられなかったのかと。それで、よく考えてみるとお遍路さんの数が増えるにしたがって、以前のように直接のコミュニケーションが減っていたということに気がつきました。お遍路の方に声をかけ、食事を提供し、お話を聴く。そうする中でお参りしていただく方の心が救われるのではないかということです。」

そして実際に住職さんがなるべくお寺の外に出て巡礼の方とコミュニケーションを図ることを試みているとのお話でした。(テレビでは実際に賽銭泥棒未遂の若者にも声をかけ、話をしたと言っていました)

監視カメラではなく、住職さんが直接お話をし、そしてお話を聞くことでそれぞれの人が本来もつ“心の監視カメラ”を磨いていくことをしていったわけです。

 

企業不正も仕組(内部統制)だけで防ぐのは難しく、あまりにも幾重にもチェックをしなければならない業務は非効率です。通常業務が回らないような非効率な業務が設計された場合、ルールが形骸化していきます。そしてそのスキをついて不正実行者は不正を行います。過去の不正事例にも「業務プロセスが複雑であったため、ルールの運用が形骸化していた」という理由で生じていることが数多くあります。そのような事態にならないように、倫理観、つまりそれぞれの個人の“心の監視カメラ”を磨くことで、組織にいる一人一人が不正をしない選択をするようにしていくことが不正予防の対応の1つになります。

 

そしてこの“心の監視カメラ”が磨かれ、各自が倫理的に正しい意思決定を自律的にできるためにはどのようなことが必要なのでしょうか。

私は、それは「人に対する信頼」ではないかと思うのです。自分の周囲にいるメンバーを信頼し、その意思決定や判断を尊重することが倫理的な組織となる第1歩だと考えます。そしてその信頼は何から生まれるのか、それはコミュニケーションからではないでしょうか。前述の住職さんも、お遍路で訪れる方たちと積極的にコミュニケーションをはかることで、お参りの方の背景を理解し、お互いの信頼関係を築いていかれていました。企業という組織においても同様です。

 

このように考えると企業不正を防ぐためには、「信頼関係が必要」ということになります。先程、「うちの会社にはいい人しかいない」と盲目的に思い込むのはよくないとも言いました。矛盾しているようにも思えますが、盲目的な信用と信頼には大きな違いがあると私は考えています。社会心理学者の山岸俊夫氏が、著書の「安心社会から信頼社会へ」や「心でっかちな日本人」の中で内集団びいきと指摘されていますが、集団の「内」と判断された場合に「外」と判断された人と比較して優遇する行動をとるといったものです。「うちの会社には…」はまさに内集団的びいきの考え方となります。ビジネスの世界でお互いの信頼関係を築き、倫理的な行動をするということは、集団内を優遇するのではなく、企業を取り巻く利害関係者の利害を調整し、どの利害関係者からみても信頼がおけるような行動をとることになります。そしてそのような行動がとれる自律的な個人が集まっていると信じられることから信頼関係が生まれると考えています。自身の保身や会社の業績へのプレッシャーから「不正」を指示する上司との間に人間としての信頼関係は築けないのではないでしょうか。

 

少し長くなりましたので、信頼とコミュニケーションについては次回にまた書きたいと思います。